いまだやりたいことはありません
東浩紀さんのTwitterを見ていて、ほんとその通りだよなぁと思うとともに、いろいろと考えさせられました。
大学に行くべきかどうか。先日8歳の娘に聞かれたときには、「大学そのものは意味がないので、やりたいことが明確で自分の才能が信じられれば行かなくてもよい。しかしたいていは才能はないのでその場合は行ったほうがいい。パパは若いころはやりたいことが明確じゃなかったので行った」と答えた。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2014, 6月 2
学歴は才能のない人間のためのバックアップにすぎない。しかしバックアップはとても大切。そしてバックアップをもたないことはそれなりにリスクを伴う。学歴とはそういうものだと思う。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2014, 6月 2
ここでは、才能とやりたいことと2つの軸が出てきますが、才能はまだしも、このやりたいことというのが非常に難しいなと、最近思っています。だって、私がこれまで生きていきて、いまだ心底「やりたいこと」には出会えていないから。結局、私はやりたいことがないんです。
いや、あります。結婚はしたいなーと思います。奥さんと公園で散歩しながらパンを食べて、四方山話をする。一緒に仲良く料理を作ったり、たまに旅行に行ったりできたらいい。そんなパートナーがいれば私の人生はハッピーだなと思います。以前、この話をある方にしたら、「派遣の女子社員みたいだ」と言われましたけども。
私の中学生の時の夢は「医者」になることでした。当時やっていた医療もののドラマの影響を受けて、救命救急医になりたいと思ったのがきっかけです。どうすれば医者になれるのかとか、どういう仕事なのかとかはテレビ以外からは知り得なかったけれど、なんとなく医者はかっこいいなと思っていました。
でも高校生になって、医者は相当頭がよくないと(もしくは金持ちでないと)なるのが難しい職業なんだということを理解しました。あげく、物理化学や数学が全くできなかったので能力も全然足りてないんだなと気が付きました。早速、医者になることは断念しました。
次に考えたのは救急救命士になることでした。なんでそう思ったのかは覚えてないけれど。母親に話したらなぜか反対されました。「近くに消防署があるからそこに行って話を聞いてきなさい」と言われたけれど、面倒くさいのでやめました。それであっさり救急救命士は却下。
そんなこんなのうちに進路選択をする時期になりました。部活が楽しかったので部活指導を熱心にできる先生になりたいと思って教育学部に行こうと思いました。一方、周りには工学部に行きたいという人や経済学部に行きたいという人もいました。私は世の中にどういう仕事があるのか全くイメージできなかったので、みんながなぜその進路を選んでいるのかとても不思議に思いました。みんなが将来どうしたいのか分からなかったんです。
当時付き合っていた人は推薦入試で大学に行くと言っていました。彼女に、「大学に行く意味って何なんだろうね?」と話したら、「みんなそんなこと考えてないんだよ。なんとなく大学に行く人が多いんじゃない?」と言ってました。それを聞いて、みんななんてお気楽な人たちなんだと思ったけれど、自分もお気楽に大学に行くことにしました。
時間と学費をムダにしない大学選び2015 - 最辛大学ガイド
- 作者: 石渡嶺司,山内太地
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/03/24
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
大学では教育学部でした。そこではじめて、世の中には本当に子どもが好きな人がいるんだということに気が付きました。私も子どもはきらいじゃないけれど、子どもと話すよりも大人と話していたほうが圧倒的に楽しい。子どもといることが何よりも楽しいという人が先生になるべきだよなと思いました。周りにはそれほど頭がいいなと感じる人はいなかったけれど、いい先生になりそうだなという人はたくさんいました。
そんなんだったので、先生になろうという気は、在学中1ミリたりともありませんでした。教育実習に行ったり、子どもと触れ合ったりしたけど、本当にただの一度も先生になりたいとは思いませんでした。(申し訳ないです・・・)卒業後は就職しようかとも思ったけれど、大学院に行くことにしました。研究者のコミュニティは、アカデミックで楽しそうに見えました。研究者になろう、その時そう心に誓いました。
それでも、お金が足りませんでした。働いても働いても増えない通帳の残金とにらめっこしながら、空いた時間に研究をします。でも、働くのにエネルギーを使うので研究どころではありませんでした。頭も切り替わらないし。プロジェクトで研究の補助などもしていたので、ポスター作ったり、シンポジウムの設計をしたり、(誰も読まない)100pほどの報告書を書いたりすることはできるようになったけれど、肝心の自分の研究テーマはあやふやなままでした。研究者になりたい人にとってもっとも大切なのは、生活に困らないだけのお金と圧倒的な時間なんだなと理解しました。
高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)
- 作者: 水月昭道
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/10/16
- メディア: 新書
- 購入: 9人 クリック: 324回
- この商品を含むブログ (233件) を見る
それでも私も、奨学金を借りればまだ勉強できるかもと思いました。博士に行くということです。当時、研究者の世界が超えられないほどの才能が集まる場所ではないということは理解していました。うまくコネをつくれれば就職もたやすいだろうことも理解できました。でも、25を超えた大人が借金して生活費をまかないながら行く価値のある場所なのかと言われれば、そうとも思えませんでした(高等教育の支出増加vs高度な専門性も参照)。
同時期、稼ぎのあてはできたてほやほやのベンチャー企業(というなの中小企業)でした。大変だったけれど、ここでの仕事内容はとても楽しかったです。ただ、自分には向かないなと思いました。よく「今後どうしたいの?」と聞かれたけれど、創業者ほどの野心をもちえませんでした。さらに、自分は自由でありたいと思ってましたが、自由になるためには相当利益率の高い商売やらないと難しいんだなと理解しました。
だから、普通にはたらこうと思いました。常見さんじゃないけれど。普通にサラリーマンやって、普通にお金を稼ぎたいと思いました。まぁ、普通ってなんぞやって話ですけれど。でも少なくとも、結婚して子どもを産んだり出来るようなくらいに働ければいいかなって思いました。
採用面接で「今後どういう人になっていきたいですか?」と聞かれたので、「結婚して子どもをもって家庭を築いていたいです」と話したら見事落とされました。本音を話しちゃいけない場所もあるんです。ただ、自分がやりたいことと言われればそれです。もちろん仕事は頑張るけれど、だからといって、仕事でどうこうなりたいわけでもありません。
きちんと暖かい家族が持てればいいなと思っています。特別に大きなプロジェクトを動かしたいとも思わないし、社長になるまで上り詰めたいとも思わない。一方で、働かない生活を満喫したいとも、ノマドで働いてゆくゆく大学講師になりたいとも、東京で疲弊しているから地方に移住したいとも思いません。頂いた収入の範囲内で、質素倹約しながら笑って暮らせれば一番いいなと思います。ボーナスが待ち遠しいね、なんて言いながら一緒に暮らせる人がいればいいなと思っています。
志が低いですが、自分は本質的には志が低い人間なんだと理解したのが20代の間のラーニングです。あんまり志が高過ぎる人とは合わないであります。自分としても仕事でやりたいことはないわけではないんだけど、仕事は仕事なので。食べるためにできればいいかなという感じです。
何の話かわからなくなったからこのあたりで。とにかく、いまだやりたいことはありません。