ぶとしの日記

ぶとしが生きていて思ったことを綴っていきます。

教育内容を「減らす」ことの難しさ:児美川孝一郎先生著『キャリア教育のウソ』を読んだ

児美川孝一郎先生の『キャリア教育のウソ』を読みました。

 

キャリア教育のウソ (ちくまプリマー新書)

キャリア教育のウソ (ちくまプリマー新書)

 

 

昨年発売され話題になっていた本で以前にも拝読したのですが、改めて読み返してみようと思い再び手にとってみました。

 

個人的には、この本で述べられている”あるべきキャリア教育の方向性”には同感の部分が大きいです。基本的に児美川先生の主張は”やりたいこと探し”よりも、他に学習すべきことがあるだとうという主張で、私も基本的には同じ思いを持っています。

 

なので、本書の中で述べられている代替案はどれも重要に感じました。労働法に関する学習もしたほうが良いし、給料明細の読み方や給料における社会保障費の扱いも学習したほうが良いし、非正規雇用のメリット・デメリットを含め自分がその状況に陥った時のキャリアパスの考え方も学習しておいたほうがよいと感じます。

 

たぶん、それを否定する人はいないと思うんです。労働はほぼ全ての国民が経験することだから、”労働に関する知識”は、知らないよりも知っていたほうが良いに決まっているからです。比較的多くの人に、児美川先生の主張は受け入れるだろうと思いました。

 

だけど、いざそ望ましい教育内容を入れて学校のカリキュラムを考えると問題が生じます。時間は有限で、無限に教育内容を増やすことはできないからです。小学校から中学校までの9年間、もしくは高等学校までの12年間で学習できる時間は限られています。だから、もし新しい何かを学校で行おうと思えば、何かを捨てなければならない。さらに、どの教科でも構わないけれど何かを捨てない限りは、新しい教育内容を増やすことは先生の負担が増えることと同義になります。

 

今は総合的な学習の時間の中でキャリア教育を推進している学校もあるとは思いますが、何もかも総合的な学習の時間に突っ込んでいてはいつまでたってもいわゆる”キャリア教育”が学齢期で必ず学習すべき事項として定着することはありません。キャリア教育は”生きていく上で知っておくべきこと”の一つだとは思いますが、それらを網羅的に扱う教科が現れない限り、それは教科のサブ的な位置付けにとどまってしまします。

 

本業は英語の先生だけど、キャリア教育も担当しなきゃいけないから”片手間”にやっておくか、という位置付けからの脱却は難しいです。英語の先生は英語を教えることが本来の仕事なので。

 

以前、ちきりんさんが、このブログを書いて議論が巻き起こってましたが、学習しておいたほうが良いことを考えることと同等かそれ以上に重要なのは、「減らすべき学習内容」を決めることです。

 

児美川先生は、各教科との連携を通じて「間接的に」キャリアについて学習するということを言及されていますが、今のカリキュラムを現実的に考えた時には”正解”なのだと思います。ただ、それにも限界があります。あることは社会で、あることは国語で、あることは家庭科でやろうとしても、同じ学校の中でキャリア教育への熱には個人差があるので、一貫したカリキュラム構成が難しくなるからです。

 

もちろん、児美川先生もそんなことは重々承知だと思うんです。だから、学校の現場の先生に向けたメッセージとして、折衷案を提示したということもあると思います。一方で、責任ある研究者の立場として本を書くということを考えた時に、大々的に「減らすべき学習内容」についての言及はできないということもあるような気もします。だって、もしも他教科の時間を減らしてキャリア教育を教科化したほうが良い!」とでも主張したとしたら…その内容を研究している研究者から猛烈な批判を浴びます。

 

国語の古文を減らして…と言えば、

母語の歴史を学ぶことは日本の伝統の保持のために極めて重要であり、グローバル化が進む中で母国の理解は一層重要となっていくもので看過しがたい意見だ」と国語教育の研究者に言われるし

 

数学を減らして…と言えば、

「数学は論理的思考能力の基礎であり、現在の技術革新の根本を成す歴史ある学問である。今後、理数教育は一層重視されるべきもので軽視されるべきものではない。言語道断である」と数学教育の研究者に言われます。

 

いや、児美川先生はそんなこと考えてないかもしれないけれど、何かを増やすなら何かを減らさなければならないよね?とは思うのです。

 

そういえば、GLOBIS TVに、起業家を集めたイノベーションに関する対談がありました。

 


小泉 進次郎氏×サイバーエージェント・藤田氏×GMO・熊谷氏×DeNA・南場氏 起業家が ...

 

この中で(32:39から)サイバーエージェントの藤田社長が、イノベーションの定義に関して以下のように述べていたのが印象的でした。

 

小泉進次郎議員の「イノベーションの日本語訳は何か?創意工夫ではないか?」という意見を受けて)

イノベーションの意味が「創意工夫」だったら、平和でいいなと思うんですけど、イノベーションの僕の個人的な理解は、「何かを新しく生み出すことによって何かが要らなくなるもの」。後の何かが要らなくなることという言葉がセットで初めて、イノベーションと言えると思うんです。

 

教えた方が良い理由を表現することも重要だけれど、同時に、教科内容をいかに「減らす」のか、ということも考えなければ議論は進まないのかもと思います。さて、何をいらなくすればいいのでしょうか?

 

ではでは。

 

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その幸運は偶然ではないんです!

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キャリア・アンカー―自分のほんとうの価値を発見しよう (Career Anchors and Career Survival)

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偶然をチャンスに変える生き方―最新キャリア心理学に学ぶ「幸運」を引き寄せる知恵

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