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ぶとしの日記

ぶとしが生きていて思ったことを綴っていきます。

本当に教員養成課程を6年制にすべきなのか?

教員養成課程が6年生になるって話はかなり前から議論されています。昔大学に通っていた時に、大学の先生が「教員養成6年生ってどう思いますか?6年かけても先生になりたいって思いますか?」って話をしていましたが、この記事で言われているように、教員志望者は減ると思います。ただでさえ、団塊の世代が減って首都圏では教員不足が取り沙汰されているのに、これ以上教員になる年月を増やしてどうするんだよという感じです。

 

それでも、教員の資質の向上と言われているように、教員の仕事が昔と比して大変になっているということはあるのでしょう。いじめの断絶、保護者対応、地域連携、特別支援教育の充実、あるいは現在であれば、SNSにおける諸問題(いじめ・依存・リベンジポルノ等々)への対応などを現実的に迫られている実情を考えてみれば、教員の資質の向上は何としてでも実現しなければならないことなのだろうとは思います。

 

しかし、しかしです。教員養成課程を4年から6年にすれば資質が向上するだろ言うというのは、あまりに短絡的に思えてなりません。ちなみに現在も教職大学院を経て教師を目指す方はいますが、そのキャリアパスが間違っているとは全く思いません。そこで何を学ぶのかはわかりませんが、多くの学生が沢山のことを学んで現場へでていくのだろうと思いますし、カリキュラム自体にも工夫がほどこされているのだろうとは思います。(繰り返しますが、教職大学院を出られた方を批判するつもりは断じてありません。)

 

だけど、諸問題に対応するために学習内容を増やし、4年から6年になったからといっていじめや学級崩壊の問題が激減するとはとても思えません。この資料でも現場での実習を増やすべきだと書かれていますが、現場での実習がそれほど重要なのであれば現場にボランティアに行ったり個別指導のアルバイトで行ったりすればいいのであって、その時間を1年間に増やす必要も無いだろうと思います。1年間に現場を”体験”すべきなのだとしても、数年間講師採用をして力量を見定めてから正規採用をすればいいだけの話です。

 

それで、仮に6年にしたとしましょう。6年にしたとしたら、その6年間での学習内容はどう規定するのでしょうか?現在の免許法のような運用を行うのであれば、免許状取得に必要な科目を定めて、具体的な中身は各大学の裁量に委ねる形になるのでしょう。その時に、各大学が開講する授業で、当初見越していた資質の向上が実現できるのでしょうか?それは、6年制にしたことの価値に値するものなのでしょうか。やってみなければわからないけれど、どうも良い結果を生まなそうな気がしてなりません。

 

お金を払って学ばせてもらっている時よりも、給料をもらって責任を感じて仕事をする時のほうがよっぽど成長が見込める気がしますがどうなんでしょうか。学位の格を上げればその分優秀になるなんて完全に「気のせい」なんじゃないかと思いますが、どうなんでしょうか。

 

 

ところで、私は、教員養成課程が各地の国立大学に設置されているのも不思議だなぁと思います。もともとの師範学校がくっついてできたものなんでしょうが、私立大学でも養成ができるのであれば、がんがん私立大学で養成すればよいのでは?と思います。教員合格者数はダイレクトに入学者に反映されるので、よっぽど切磋琢磨して充実した教員養成カリキュラムが出来る気もします。

 

別の観点から言えば、地方では上がつまっていて”まだ”ほとんど先生になれないのだから、地方大学に教員養成課程を置いていてもあまり意味が無いのでは?という気もします。どうせ首都圏で先生になるのであれば、わざわざ地方に教員養成課程を置く必要もないだろうにとも思います。まぁ、大量退職が予想される2020年以降に備えるという意味では重要なのかもしれませんが。

 

ではでは。